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今市は古くからの物資の集散地でした。文禄3年(1594)中川秀成が岡藩7万石の領主として入部し、岡藩領となり野津原村以西を参勤交代の道路の一部として利用するようになりました。
今市が宿場として整備されたのは慶長年間(1596-1615)のことで、庄屋伝兵衛の祖先が藩命により開発したと伝えられています。
町並みは5町6間の1街道で、街道は石畳になっていました。町並みの中央部を2回、鈎の手に曲げて宿場を見通せないようにし、この曲がり角に火防藪床という竹藪を設けていました。この竹藪より西方を上町、東方を下町と呼びました。
岡藩の御茶屋は当初下町にありましたが、元禄8年(1695)上町に移されて「西の御茶屋」と呼ばれるようになりましたが、延享元年(1744)に廃止されました。
肥後藩の御茶屋は下町北川の城山にあり「東の御茶屋」と呼んでいましたが、寛永10年(1633)下町に移りました。上町には大制札場や御客屋敷があり、枝郷の平連石には小制札場も置かれていました。宿場の東西には上構、下構と呼ぶ門があり警護にあたっていました。
現在は幅8.5メートルの道路中央部分2.1メートル、長さ660メートルが石畳になっておりかつての様子を忍ばせます。
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