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 肥後街道(熊本側からは豊後街道と呼ばれる)は、肥後国熊本(現在の熊本県熊本市)と豊後国鶴崎(現在の大分県大分市鶴崎)を結ぶ全長約124km(31里)の街道である。江戸時代に加藤清正によって拓かれ、熊本藩の参勤交代に用いられた。

勝海舟と肥後街道
 文久4年(1864年)に四国艦隊下関砲撃事件調停の幕命を受け、勝海洲、坂本龍馬等一行は、肥後街道を熊本経由で長崎に向かいます。
 2月14日に神戸を出港し翌15日に佐賀関に到着します。佐賀関の徳応寺に宿泊し、翌日は鶴崎の本陣に宿泊しました。2月17日は野津原宿に泊まり肥後街道から長崎へと向かいました。勝の残した日記の2月18日には工藤三助の碑を見た記録があります。

細川氏時代の「肥後往還」  熊本城から鶴崎までは普通は5日の日程だった。熊本城を出発し、第一日目は肥後大津まで来て宿泊した。第二日目は阿蘇山麓の内ノ牧まで、第三日目は内ノ 牧から阿蘇郡の産山村を通って豊後国に入り、久住手永の白丹から久住の宿場まで来た。第四日目岡領小倉を通り、古屋敷、四ッ口をへて、神堤(現直入町)、釜割、子無田(現朝地町)と来て、天領石合村に入り今市宿に至る。今市宿では岡藩から蕎麦の饗応を受ける習わしがあった。小休止後堪水・原村・太田を通 る。矢貫・伊塚・赤坂と下り、一ノ瀬の渡しに出る。ここを渡野津原宿に着く。一泊したあと、第5日目これまでと違い平坦な道が続き鶴崎に到着した。  

今市宿〜野津原宿詳細地図 カーソルを地図の上に載せると、詳細地図が右側に表示されます。

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